植村直己冒険館

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チャレンジャー紹介

植村直己冒険館には、多くの旅人や様々なチャレンジをしている人々が訪れます。冒険館で植村さんに触れることで、今一度自分自身を奮い立たせ、植村さんに背中を押されるように、ここ冒険館から次なる目標に向かって再スタートをきります。みなさんがゆっくりと羽を休められるようなオアシス的な場所を目指します。

バギーと共にふたり旅

お名前:児玉 文暁 近藤 あゆみ さん
ご来館日:2010年11月16日

来館日 : 平成22年11月16日(火)

名 前 : 児玉 文暁 (45歳)  

住 所 : 徳島県

 

 

【ふみさん編】

もう15年も歩き続けている旅人、児玉文暁さん(徳島県)。通称ふみさん。ふみさんは、1995年に4年間勤めた会社を退職し、夢だった徒歩での旅を始めました。
ヨーロッパを皮切りに、南アメリカ~ニュージーランド縦断~オーストラリア縦断~台湾と自分の足だけで世界11,600kmを周りました。世界を見て周ったふみさんが次に選んだのは日本列島縦断。日本をゆっくり見て周ろうと決めました。そして2005年、北海道・知床を出発。
出発にあたって決めたことがいくつかありました。
● 予定を立てないこと ● テーマを決めないこと
● 決して急がないこと ● 自然に逆らわないこと   …等などです。
予定を立てないのは先の予定を立てることで貴重なチャンスをふいにしたくないためだそうです。
こんなふうに始まったこの旅。相棒はバギー。この方法も、変遷があります。初めはバックパックで、その後、馬→市販のゴルフ用カート→バギー。バギーに出会ってからはずっとこのスタイルです。相棒のバギーの名前は、“マンチータ号”。アルゼンチンでは、なんと!馬を6万円で買って馬とともに歩きました。この馬の名前が“マンチータ”。この名前を取ってバギーに名付けました。噛みつくは、逃げ出すはと騒動が耐えない馬だったそうですが、ふみさんにとっては、忘れられない馬になりました。
 歩き旅を選んだ理由…というより他の手段は考えなかったそうで、自分にとって一番旅らしく、いいスピードが徒歩だったようです。冒険というより、趣味、日常生活ですね…とふみさんは自分の旅を語ります。
冬場は、日本各地でアルバイトをしたり、これまでの旅をまとめた本のための執筆活動をしながら越冬されます。
 初めは、ひとり旅だったのですが、この後、今までの旅を大きく変える出逢いが…。

 

 
  

 

 

 

 

 

【あゆみさん編】

2006年、札幌で「歩き人ふみ」のスライドショーを見に行ったのがきっかけでお付き合いが始まりました。
その後、2008年、あゆみさんは17年間勤めた会社を辞め、ふみさんと共に歩く決心をしました。
周囲の方は、大反対!友達からは、“終わったね~”とまで言われたとか。しかし、あゆみさんには迷いはありませんでした。あゆみさんは、共に旅をしたいとふみさんに伝えました。ふみさんは喜んでくれると思いきや、将来のことを心配されたといいます。旅している人に心配されるなんて…説得力のない“心配”だったのでしょう。こうして二人旅となりました。

ここから二人旅編
 あゆみさんは、ふみさんがニュージーランドで使っていたバギーを譲り受け、“キウイ号”と名付けたバギーで合流、ここから『ふたり旅』が始まったのです。
 二人になっても、ふみさんの当初の旅に対する決め事は変わりませんでした。変わるどころか、あゆみさんののんびりとしたペースがピッタリと当てはまったようです。
 特に計画を立てないで、気に入ったところには何日も滞在。各地でイベントに参加するなど地元の方々と交流を持ち、畑仕事や酒蔵で杜氏の方々の手伝いをしたりと、様々な仕事を経験されています。地元の方々に受け入れられる様子は、お二人の温かな雰囲気と人柄によるものなんだと、お話を聞いていてそう感じました。 なかなか前に進めないのも納得しました。
 ケンカはしょっちゅう…しかし、歩いていると前向きな気持ちになり、怒っているのがもったいと感じてくるそうで長続きはしないそうです。素晴らしいものを見ても共感できないのは寂しいから…とお二人はおっしゃいます。
これから、日本を南下し台湾までの縦断旅は続きます。あゆみさんの初めての海外歩き旅デビューです。
どうぞこれからもお二人のペースで1歩1歩進んでください。楽しいお話を聞かせていただき本当にありがとうございました。

バギーと共にふたり旅

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