植村直己冒険館

兵庫県豊岡市日高町伊府785
info@boukenkan.com
開館時間 / 9:00~17:00 (最終入館16:30)
休館日 / 水曜日 (祝日の場合は翌日休)、12/29~1/3
見て楽しむ
世界最高峰のエベレストに日本人で初めて登頂した冒険家
植村直己の足跡を紹介するとともに、様々な実物装備品を展示。
植村直己スピリットを体感していただけます。

植村直己とは

1941年(昭和16) 兵庫県豊岡市に生まれる。7人兄弟の末っ子だった。
1956年(昭和31) 15歳
兵庫県立豊岡高等学校入学
1960年(昭和35) 19歳
明治大学入学、同時に山岳部入部
1964年(昭和39) 23歳
明治大学卒業、移民船(片道切符のみ)でアメリカへ
ぶどうつみのアルバイトで登山の資金を稼ぐ。
労働許可証がないのがわかり国外退去となる。フランスへ向かい、スキー場でアルバイト
1965年(昭和40) 24歳
明治大学ゴジュンバ・カン遠征隊に参加。
未踏峰ゴジュンバ・カン(7,646m)にシェルパのペンパ・テンジン氏とともに初登頂。
1966年(昭和41) 25歳
ヨーロッパ最高峰モンブラン単独登頂(4,807m)
マッターホルン単独登頂(4,478m)
ケニア山レナナ峰登頂(4,985m)
アフリカ最高峰キリマンジャロ単独登頂(5,895m)
1968年(昭和43) 27歳
アンデス山脈エル・プラタ登頂(6,503m)
南アメリカ最高峰アコンカグア単独登頂(6,960m)
無名峰(5,700m)に初登頂し「明治峰(ピッコ・デ・メイジ)」と命名する
アマゾン川(6,000km)をイカダで下る
アラスカのサンフォードに登頂(4,940m)
マッキンリーの単独登頂を狙ったが許可が下りず
4年5か月ぶりに帰国
1970年(昭和45) 29歳
世界最高峰エベレスト(8,848m)に松浦輝夫氏とともに日本人として初登頂(日本山岳会エベレスト登山隊)
北アメリカ最高峰マッキンリー単独登頂(6,194m)
【世界初の五大陸最高峰登頂者となる】

1971年(昭和46) 30歳
山学同志会パーティとしてアルプス山脈の厳冬期グランドジョラス北壁完登(4208m)
国際エベレスト登山隊に参加
日本列島(3,000km)徒歩縦断
1972年(昭和47) 31歳
グリーンランド最北の村シオラパルクで暮らす(~73年)
1973年(昭和48) 32歳
グリーンランド3000km単独犬ゾリ旅
1974年(昭和49) 33歳
北極圏(12,000km)単独犬ゾリの旅に出発〈グリーンランド西海岸〉
1975年(昭和50) 34歳
カナダ北西部のアンダーソン・ベイで越夏
1976年(昭和51) 35歳
アラスカ・コツビューに到達する〈北極圏(12,000km)を走破〉
1978年(昭和53) 37歳
北極点単独犬ゾリ到達【世界初】
グリーンランド(3,000km)単独犬ゾリ縦断【世界初】
1980年(昭和55) 39歳
冬期エベレスト登山隊とともに厳冬期アコンカグアに登頂。
日本冬期エベレスト登山隊長として日本を出発。
1981年(昭和56) 40歳
サウスコルに達したが、強風のため厳冬期エベレスト登頂断念。
1982年(昭和57) 41歳
南極大陸へ。
南極大陸3000キロの犬ゾリ単独走破と同大陸最高峰ビンソン・マシフ登頂を計画するが、フォークランド紛争のため行動を断念。
1983年(昭和58) 42歳
ミネソタの野外学校にアシスタントインストラクターとして参加
1984年(昭和59) 43歳
厳冬期マッキンリー単独登頂【世界初】
登頂成功を伝える無線交信を最後に消息を絶つ
国民栄誉賞受賞(歴代4人目)
グリーンランド南端の山が「植村峰」と命名される
*マッキンリー(現デナリ)
*写真提供:文藝春秋

ミュージアムエリア

冒険家 植村直己スピリットを
て学ぼう♪
冒険館の所蔵する植村直己の貴重な実物装備品や、
テーマごとに分かれたビジュアル資料を
物語的な構成によって観る人の冒険心を掻き立てるとともに、
「植村直己のスピリット」をわかりやすく伝える展示内容にリニューアル!

チャレンジエールエリア

植村直己につづく冒険家たちの活動や
業績の情報を集約!
チャレンジへのモチベーションを高めよう!
冒険者を紹介する【チャレンジエールエリア】
植村直己冒険賞受賞者を紹介するエリアと、
これまで様々なチャレンジをしてきた冒険者たちを紹介するエリアを設置し、冒険への関心を高め、
来館者のチャレンジモチベーションを高めます。

冒険館の建築

植村直己冒険館は、氏の業績を顕彰する記念館として、
出身地である兵庫県豊岡市日高町に建設されました。
自然を征服しようとするのではなく、
自らが自然に順応する方法をとり続けた彼に倣い、
この計画も自然と対話することから始めました。
彼にとって原風景である豊かな環境や地形を保存しながら、
彼の距離への挑戦を象徴的に表現した建築を、
大地を切り裂くクレバスのように貫入させました。

日本建築学会賞受賞
日本土木学会デザイン賞受賞
ケネス・F.・ブラウン・アジア太平洋建築デザイン賞受賞
引用:栗生明+栗生総合計画事務所 WEBページ